社説【編集部感】
報道機関が目を背く「Nステの功罪」
2026.01.14
 報道番組「ニュースステーション」キャスターを18年半務めた久米宏氏が逝去された。各番組が彼を追悼する中で、とりわけ報道畑に育つ者は「Nステ、久米氏はテレビ報道の革命児だ」と礼賛するが、ここではあえて久米氏の功罪の「罪」に焦点を当て、現代の日本における報道機関のあり方を嘆く。
 「ニュースステーション」の最大の特徴は、キャスターが視聴者目線に立ち続けたことにあった。それまで淡々と正面を向きニュースを伝えるだけの報道番組から、視聴者が親近感を覚える番組制作の姿勢を貫いた。映像と原稿だけで伝えられていたニュースは、模型をはじめとした視覚的な追加要素によってより明快に伝わるようになった。現代において様々な報道番組が、ニュースとは直接関係のない美術制作に労力を割く原点はここにある。
 一方で、「ニュースステーション」の手法は、異端児であるからこそ容認されるものであった。久米氏がかつて「一つぐらいこんな番組があってもいいじゃないか」と言及した通り、他の報道機関とは異なる手法を用いた報道番組であったからこそ成立した。
 「ニュースステーション」は、本来の報道番組からは逸脱した「エンタメ」でもある。それはキャスターが私見を述べる姿勢を良しとしたためだ。報道機関は本来、主権者たる国民に代わって政治や経済、社会的事象を取材し、結果を国民に伝達することが役割であり、報道番組の存在はその手段に過ぎない。「ニュースステーション」は、キャスターやコメンテーターが述べる私見を報道の一部として放送し、それが世論の大部分であるかのような放送姿勢を続けた。「事実」と「意見」を混同する報道スタイルを成立させたのだ。
 現代の日本の報道機関は「糸電話の糸が身勝手に喋っているよう」と揶揄される。SNSがインフラとさえなった令和の時代において、「ニュースステーション」を模倣した報道番組の時代は終わりを迎えている。



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